保管

保管場所

三国志の始まり 第二弾

張角も最初は中国の為を思って立ち上がったのですが、だんだん統制がとれなくなった黄布賊は農民達から搾取、略奪を繰り返し朝廷から逆賊として討伐されます。その時に立ったのが劉備玄徳・関羽雲長・張飛翼徳です。彼らは自ら義勇軍を率いて黄布賊討伐に乗り出します。ここから三国志の物語が始まっていくのです。

これは現代にも通じる事だと思います。革命家は最初は理想を掲げますが権力を握ると独裁的になり私利私欲に走るのだと考えます。フセインしかりヒトラーしかりです。前者は
バアス党に入党して革命活動に入り王制を打倒して政権についたアブドゥルカリーム・カーセム共産主義寄り政策に反対しました。その後大統領に就任すると、その直後に開かれた党大会で突如66人の人物を会場から連行させました。この内22人は死刑となり国民に恐怖政治を印象付け、その後も反体制派の虐殺などを含む様々な手段で強硬に弾圧し、大統領の独裁体制を構築しました。

後者は第一次世界大戦で(大ドイツ主義的)愛国心から熱狂し、また停滞した人生や貧困を打破するためもあって、オーストリア国籍のまま(ドイツ国籍取得は1932年)バイエルン領(1918年まで、バイエルン王国の主権を保持したまま、ドイツ帝国の一領邦として存在した)の志願兵として入隊しました。が、しかしドイツ帝国は敗北してしまい、このときヒトラーは祖国の誇りを取り戻すために、建築家を目指すことを放棄し、政治家を目指すようになったそうです。その後、ヒトラーは敗戦後も軍の情報関係の仕事を続け、激増した新党の調査を担当していた。その一環として参加した「ドイツ労働者党」の集会で演説者をやり込めたのが党議長の目に留まり入党します。その扇動的な演説によって多くの党員を獲得し、党の要人となったヒトラーは退党をほのめかすなどして上層部に圧力をかけ、独裁を認めさせました。党名を国家社会主義ドイツ労働者党(略称NSDAP、対抗勢力による通称ナチ)と改め1921年7月29日その党首となります。そしてベルリンオリンピック開催前後には諸外国からの批判を受け、一時的にユダヤ人迫害政策を緩和するものの、国力の増強とともに、ドイツ国民の圧倒的な支持の基「ゲルマン民族の優越」と「反ユダヤ主義」を掲げ、ユダヤ人に対する人種差別をもとにした迫害を強化してゆきました。

この記事を読んで良かったと思った方はランキングに投票して下さると嬉しいです。