その時、歴史は動いた 間宮林蔵をみて②
南極物語という映画をご存じでしょうか?
主人公のタロとジロという犬は樺太犬でした。故に樺太とは日本語です。
ところが今は「サハリン」となっています。サハリンは日本語ではありません。サハリンが樺太か樺太がサハリンなのか、その因・縁・果 が分かりませんでした。何故なら学校では一切教えてくれませんでしたから。
植村直己さん・スキーの三浦雄一郎さん・ヨットの堀江健一さんや白石康次郎(26歳・世界最年少単独無寄港)さんは迷う事なき冒険家ですが、江戸時代後期、日本人未踏の樺太(現在のサハリン)を調査し「間宮海峡」はシーボルトは、間宮林蔵の調査を評価、その著書『日本』においてタタール海峡の最狭部を「Str. Mamia seto 1808(間宮の瀬戸)」と記しています。世界地図でも乗っています。何故、世界は日本の北の果てを間宮海峡としたのか。
それはつまり、樺太までが日本の領土であることを認めた証でした。
樺太はユーラシア大陸の半島ではない独立した島である。そして、その保有国は日本であると認めた瞬間でした。間宮は何としてもロシアとの境界を見見極めなければならないという幕府の命令による調査隊の責任者でした。
ですから、冒険家と称するべきではありません。調査隊なのですから。
1811年3月、 当時の日本国政府である徳川幕府に間宮は日本の北の境を樺太と報告しています。そうであれば、そのままであれば 間宮の勇躍によっての日本の領土は樺太を含む北方領土は 北方四島の合計5,036km²と 樺太36,090.30km²で41,126現在の日本の面積377,835km²(世界60位)に加算されて居たわけです。ですから現在の日本は上記計算を本来と捉えれば10.88%も国土を減らしたことになります。
つまり現在、住んでいる自宅のスペースがある時から11%も減らされれば 末期の代まで語られるはずなのに 間宮の勇躍からの因・縁・果を日本の教育者は放棄していることになります。間宮自身が死を覚悟して、自分の墓まで建てて日本の北の果てまで勇躍してくれたのにです。こんな重要なことを現在の学校は一行たりとも記載していません。この国の教科書はいったい何を伝えたいのかと思います。
今年も又、世界でただ一国それも立て続けに二回も落とされた原爆の日が近くなってきました。多くの国会議員が参列することでしょう。しかし 樺太にも 北方四島の択捉エトロフ・国後クナシリ・色丹シコタン・歯舞ハバ゙マイには一人として有権者がいないことから、真剣にこの問題を論じる政治家が居ないように思います。それにしても、幕府の命令だけで自分の墓を作って、命を賭けて自分の人生を捧げまで成し遂げた日本人の男・間宮林蔵と今の日本の政治家と根本が全く違うように思いました。