北方領土
「尖閣、あげればいいじゃないですか、世界が放っておかないですよ……」というものでした。鉄の女と言われたサッチャーは旧ソ連のSS20という中距離核を配備されたとき、反核運動が起きて「私は、核がない世界より核があっても戦争がない平和な世界を選ぶ。日本がなぜ原爆を投下されたのか。それは原爆を持っていなかったからだ」といいました。
私は、これを支持します。それは個人でも国でも同じです。前原さんは、ロシアまでいって、北方四島(択捉エトロフ・国後クナシリ・色丹シコタン・歯舞ハブマイ)は我が国領土であるといいました。正論です。しかし、これで何かが進展する事はないでしょう。
1943年11月22日でカイロ宣言で連合国(米ソ中英仏)は領土不拡大を宣言しています。しかも日ソには日ソ不可侵という条約があるのに、現実にはこれを破っていて話になりません。既にもう70年近く実行支配、ホリエモンのいうことに説得力はありません。
もっと分かりやすく言うと、歴史の勉強をしていません。個人を拡大したものが国です。同じ環境で同じ教えで同じ生活をしていて、喧嘩はいけない。まして虐めはいけないと言われだしたのは、1983年の学級崩壊で起こった町田市の忠生中学の頃からです。生徒が集団で教師を威嚇し教師は恐怖から果物ナイフで中学男子に斬りかかるという傷害事件を起こしました。30年前の事件です。
いじめは昔からあります。野村克也さんも家が貧乏であったことから、学校が終わると毎日まちぶせされて酷い目にあわされました。野村曰く「こいつをいじめても怖い親父も居ない。それに学校にはこなければならないと計算してやっていた」といいます。
その通り、前原さんが正論をいってもロシアは痛くも怖くもありません。日本人の誰が、前原さんがいってロシアが悪かったと認めると思っているのでしょうか。平成の鬼兵の異名を持つ弁護士であった中坊公平さんが「現代の司法での決着は二割。八割は泣き寝入り暴力、行政、教育マスコミそして政治決着という力の行使によって決まっている」と言っていました。
最悪の事態とは虐めにあっても気がつかない人格、国格(便宜的に)にあると思っていますと、私はつくづく納得しますね。