広島平和記念式に米英仏の代表が初参加
【記者】今日、8月6日は広島のみならず、日本国民が忘れてはならない、65回目の広島の原爆の日を迎えました。核廃絶に向けたテンポが早くなってほしい中、今回は広島の方に国連事務総長ら多くの参列者を迎えたこうした動きについて、石原知事、きっと思いがおありになろうと思いますけども、いかが感想をお持ちでしょうか。
【知事】核の問題というのは、考えるとき、色々なアングル(見方)があるんです。この間、どこかの新聞に、空幕(航空幕僚長)をやめた田母神(俊雄 軍事評論家)さんと、被爆者の代表の人が講演して、その中で田母神さんが、核というものを抑制するには、核持つのが一番手っ取り早く機能的にもそれしかないと言った。これも一理でしょう。アメリカやロシアのような国、大きな核をたくさん持っている国が、自分たちも少しは減らすけれど、おまえたちは持つなというのは非常に勝手というもので自分達の保身でしかなくて、それがそのまま核の廃絶につながるとは到底思えません。
私、この頃つまらないので行かなくなっちゃったけれど、ダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)の何度目かに行った時に一番人気のセッションが、もう亡くなったけれども、元気だったアラファト(パレスチナ解放機構議長)とシモン・ペレス、わりと強気のイスラエルの大統領との対論で、司会をエジプトの外務大臣がしていましたが、なかなかきわどい応酬があった中で、最後に、妙な行き詰まりがあるのに気が付いた。それは、結局、イスラエルは核持っています。うんとは言っていないけれど持っているね。それから、アラブ側も持っているね。例えば、ソビエト時代に開発された、25個とか35個のポータブルなスーツケースに入るコンパクトな核兵器というのは、回収されたけれど、2つ行方不明なんです。所有者が誰かって未だに分からないんだけど、あの対論を見ていると、なるほどなと、それに触れることが、ある線を超えちゃうので、そこで2人とも足踏みした、そういう対論でした。
昨日も、NHKのある特集で、あのきのこ雲が、一体どれぐらいの高さまで広がって、どれだけ黒い雨が降ったかという。これは写真とか色々な映像を見て、1万数千メートルまで行って、大気が非常に薄くなって、そこで、頭打ちして横に広がっていって、おそらく、常識で見ても、黒い雨が降った地域というのは非常に、もっと広範囲だったと思います。国は、補償の問題があるから適当なことで済まそうと思うかもしれないけれど。本来なら、この問題というのは、補償はアメリカがすべきだよ。何言ってる、おまえら(二本)が始めた戦争じゃないか」と向こうは言うかもしれないけれどもね。
例えば、話が点々としますが、オッペンハイマーという、原爆を開発した学者の伝記を読むと、彼は、広島での原爆の効果が予想以上にあり過ぎてショックを受けて、以来、もうこういった問題は手をつけないということで、もっと多大なノウハウを持っていながら水爆の開発を、拒否し、マッカーシーの委員会(反米活動調査委員会)なんかにつるし上げられて、あれは左翼だ、共産党だというレッテル張られた。ケネディの時代に復権するんですけど。
未曾有の凶悪な兵器というものを開発したオッペンハイマーというのは非常に知的な、心の広い人だった、組織力もあった、だからチームをつくって、非常に状況の悪いところで原爆開発したんですけれども、彼の苦悩というのは、何もオッペンハイマーは神様でもないし、とんでもなく、大天才であったんだろうけれど、あれを開発した学者自身のその後の苦悩、反省、つまり、あの物事への姿勢というものを見ると、核兵器というのは、本当そら恐ろしいものでしょう。
こういうこと言うと、また誤解されるかもしれないけれど、これから世界のどこかで核兵器使いますかね。アメリカの映画なんかで、ポータブルな核兵器というものを、ニューヨークに持ち込んで云々という、そういう映画もあったけれども、おそらく、あれだけ金をかけて開発しても、広島・長崎という、ああいう悲劇というものを、私たちが忘れない限り、核兵器を使うことはないでしょう。使えることもないでしょう。私は、それが、膨大な金をかけたかもしれないけれど、自業自得の結末で、人間全体にとっては、ある意味で好ましい結論だと思いますけれども。
私、この頃つまらないので行かなくなっちゃったけれど、ダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)の何度目かに行った時に一番人気のセッションが、もう亡くなったけれども、元気だったアラファト(パレスチナ解放機構議長)とシモン・ペレス、わりと強気のイスラエルの大統領との対論で、司会をエジプトの外務大臣がしていましたが、なかなかきわどい応酬があった中で、最後に、妙な行き詰まりがあるのに気が付いた。それは、結局、イスラエルは核持っています。うんとは言っていないけれど持っているね。それから、アラブ側も持っているね。例えば、ソビエト時代に開発された、25個とか35個のポータブルなスーツケースに入るコンパクトな核兵器というのは、回収されたけれど、2つ行方不明なんです。所有者が誰かって未だに分からないんだけど、あの対論を見ていると、なるほどなと、それに触れることが、ある線を超えちゃうので、そこで2人とも足踏みした、そういう対論でした。
昨日も、NHKのある特集で、あのきのこ雲が、一体どれぐらいの高さまで広がって、どれだけ黒い雨が降ったかという。これは写真とか色々な映像を見て、1万数千メートルまで行って、大気が非常に薄くなって、そこで、頭打ちして横に広がっていって、おそらく、常識で見ても、黒い雨が降った地域というのは非常に、もっと広範囲だったと思います。国は、補償の問題があるから適当なことで済まそうと思うかもしれないけれど。本来なら、この問題というのは、補償はアメリカがすべきだよ。何言ってる、おまえら(二本)が始めた戦争じゃないか」と向こうは言うかもしれないけれどもね。
例えば、話が点々としますが、オッペンハイマーという、原爆を開発した学者の伝記を読むと、彼は、広島での原爆の効果が予想以上にあり過ぎてショックを受けて、以来、もうこういった問題は手をつけないということで、もっと多大なノウハウを持っていながら水爆の開発を、拒否し、マッカーシーの委員会(反米活動調査委員会)なんかにつるし上げられて、あれは左翼だ、共産党だというレッテル張られた。ケネディの時代に復権するんですけど。
未曾有の凶悪な兵器というものを開発したオッペンハイマーというのは非常に知的な、心の広い人だった、組織力もあった、だからチームをつくって、非常に状況の悪いところで原爆開発したんですけれども、彼の苦悩というのは、何もオッペンハイマーは神様でもないし、とんでもなく、大天才であったんだろうけれど、あれを開発した学者自身のその後の苦悩、反省、つまり、あの物事への姿勢というものを見ると、核兵器というのは、本当そら恐ろしいものでしょう。
こういうこと言うと、また誤解されるかもしれないけれど、これから世界のどこかで核兵器使いますかね。アメリカの映画なんかで、ポータブルな核兵器というものを、ニューヨークに持ち込んで云々という、そういう映画もあったけれども、おそらく、あれだけ金をかけて開発しても、広島・長崎という、ああいう悲劇というものを、私たちが忘れない限り、核兵器を使うことはないでしょう。使えることもないでしょう。私は、それが、膨大な金をかけたかもしれないけれど、自業自得の結末で、人間全体にとっては、ある意味で好ましい結論だと思いますけれども。
【記者】愚かな人間同士の命を奪い合うものと、あの恐ろしいものというものを、やっぱり世界中の人に知ってもらいたい。そうした中で、アメリカも政府を代表して駐日大使が初めて出席した。エノラ・ゲイのパイロットの、多分、息子さんだと思うのですが、出席すること自体がもう謝罪に当たるから遺憾だと言っているのです。しかし、それについては、私たちは、そんなことではなくて、もう謝れとか謝らないとかじゃなくて、二度とこういったことは、争いをやめ、それから、長い間築き上げてきた建造物等を一瞬にして破壊してしまうようなこと、もったいない、無駄なことをしてはいけないということをみんなが、人間同士が理解しなければいけないことだと、そういうふうに思うのですが。
【知事】全くそうです。だから、核反対とか、そういう政治的な主張じゃなくて、全く無抵抗な膨大な数の市民が、瞬間的にどれだけの被害を負って、それが長く続いているかということを、情報としてもっと世界に積極的に知らせる必要があると思います。
そういう点では、国の中でのキャンペーンはあっても、外国に出かけて行ってまでも、広島・長崎の悲劇の濃度の濃さというものを日本はキャンペーンしてこなかったんじゃないんですか。私は、既に核を持っている国に行って、もっとそういうことを喧伝(けんでん)し、資料の展示をし、展覧会をするとか、核をつくっている国にも出かけて行ってやったらいいと思う、僕は。それがちょっと足りないような気がします。
あそこへ閉じこもって、大変だ、大変だったと悲嘆に暮れるのも仕方がないと思うけれど、政治運動じゃなしに、一発の爆弾というのがこれだけの被害を長きにわたって与えるという恐ろしさ。例えば、それと同じようなことがチェルノブイリでも起こっているわけでしょ。あそこの人は貧しいから、豊穣な森に入ってキノコを採ったりせざるを得ないから、あそこは、もう切りなく循環するわけだ、汚染が。ああいうものをどんどん出したらいいと思います。
そういう点では、国の中でのキャンペーンはあっても、外国に出かけて行ってまでも、広島・長崎の悲劇の濃度の濃さというものを日本はキャンペーンしてこなかったんじゃないんですか。私は、既に核を持っている国に行って、もっとそういうことを喧伝(けんでん)し、資料の展示をし、展覧会をするとか、核をつくっている国にも出かけて行ってやったらいいと思う、僕は。それがちょっと足りないような気がします。
あそこへ閉じこもって、大変だ、大変だったと悲嘆に暮れるのも仕方がないと思うけれど、政治運動じゃなしに、一発の爆弾というのがこれだけの被害を長きにわたって与えるという恐ろしさ。例えば、それと同じようなことがチェルノブイリでも起こっているわけでしょ。あそこの人は貧しいから、豊穣な森に入ってキノコを採ったりせざるを得ないから、あそこは、もう切りなく循環するわけだ、汚染が。ああいうものをどんどん出したらいいと思います。
【記者】広島・長崎は外国へ出て、そういうふうに写真なども全部公開して見てもらいたいのだという行動は随分とっていたのですが。まだ足りなかったかもしれません。